綾部初えびす大祭
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弥仙山(みせんさん)・・・京都府綾部市於与岐町にある、綾部一高い山。
その秀麗な姿から「丹波富士」と呼ばれ、
他の山を圧するように突っ立っている鋭鋒を「丹波槍」とも呼び、
古くは釈迦ヶ岳とも三仙とも呼ばれていた修験の霊峰。
綾部市民なら1度は登ったことがあるであろうメジャーな山です。
弥仙山に登る時は面白い習慣がありまして・・・
登山の際は各々「石」を持って上がるというのがその習慣。
それはなぜか?
・・・京都府と福井県の県境に「青葉山」という山があります。
この「青葉山」の標高が699mで、弥仙山が664m。
その差わずか5m。
負けず嫌い?の綾部市民は、ライバル青葉山を追い越そうと、
登山時には「石」を持って上がり、山頂に積み上げていくのでありました。
府道74号線で
綾部市於与町へ
遠くに見える
尖った山が
弥仙山
こちらの道を
進んで行くと
お隣舞鶴市へ
左: 登山道
右: 改心の道
頂上からの眺め
舞鶴湾一望
遠くに見えるのが
クレインブリッジ
冬場の澄んだ空気の中の登山もいいものですね。
くれぐれも獣除けの鈴をお忘れなく・・・。
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日本史を勉強する上で、よく目にする「上杉」という姓。
実は綾部市が、この「上杉」という姓の発祥の地だということをご存知でしょうか?
【鎌倉時代の丹波国何鹿郡上杉荘・・・こちらが現在の京都府綾部市上杉町。
京都の公家・勧修寺重房(室町将軍:足利尊氏公の母、上杉清子の父)は
後醍醐天皇の第2皇子・宗尊親王が鎌倉の四代将軍に就任する時、
重房が同行し、将軍に就任させた功により、この綾部の上杉荘を与えられ、
苗字を「上杉」の姓に変えたと言われています。
ちなみにこの上杉重房の娘・清子が足利貞氏の家女房となり、
綾部・安国寺にて足利尊氏公を出生しました】
現在綾部市上杉町にある記念碑。
平成19年に建てられました。
先日ご紹介しました「光明寺 二王門」もそうですが、
綾部は歴史的に興味深いものがたくさんある土地。
「歴史再発見」・・・ひとつひとつ調べて歩くのも楽しいですね。
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国宝
光明寺 二王門
君尾山からの眺め
綾部の観光名所のご紹介。
さて、今回は睦寄町にある「光明寺 二王門」。
鎌倉時代のもので、入母屋造り栩葺の三間一戸二重門。
京都北部唯一の国宝建造物に指定されております。
堂々たるお姿の二王像・・・1度ご覧になられてはいかがでしょうか。
綾部市睦寄町君尾1-1(綾部I.Cから車で約30分)
「光明寺」・・・
『君尾山略記』には、推古天皇7年(599年)、聖徳太子による開創と伝える。その後白鳳元年(673年)、役小角が修験道の道場とし、延喜年間(10世紀初)、醍醐寺開祖の聖宝(理源大師)により真言密教の道場として中興されたという。最盛期には山上山下に72坊を有したと伝える。
現存する二王門は、棟札の記載によれば仁治3年(1242年)から建長5年(1253年)にかけて建立されたものである。棟札によれば、門の再興には延暦寺西塔院の僧・覚承が関わっており、この頃は天台系寺院であったことが伺われる。
「光明寺 二王門」・・・
昭和25年から昭和27年10月まで行われた解体修理で、上層の柱から「宝治二年」の墨書銘が発見された。また、床板に転用されていた棟札が発見され、その記載から、門は仁治3年(1242年)から建長5年(1253年)にかけて再建されたものであることが明らかになった。併せて永正13年(1516年)、享保14年(1729年)、安政6年(1859年)の3度にわたり修理が行われていたことも判明した。長押を多用し、下層の背面と上層には連子窓を設けるなど和様を基調とするが、頭貫の木鼻は大仏様(だいぶつよう)とする。二王(仁王)像を門の正面側でなく後の間に安置する点が珍しい。
中世にさかのぼる二重門(2階建で、下層と上層の境にも屋根の出をつくる門)は極めて稀少であり、建築年代が判明する点も貴重であり、修理完工後の昭和29年(1954年)に国宝に指定された。
(Wikipediaより)
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